[調査報告]
松江の瓦
その歴史 -4の3-


○塩見縄手の瓦

 ■出雲型と石見型が混在

左の塀の屋根は出雲型、右側の屋根は石見型(田部美術館)。

左の塀の屋根は出雲型、右側の門の屋根は石見型(八雲庵)。

 向かって右肩上がりで黒色の燻し焼き桟瓦つまり出雲型瓦は、昭和の初期頃まで松江にみる屋根瓦の主流であった。だが戦後には、経済的で耐久性に優る石見型瓦に取って替わられてしまい、そのシェアは年毎に広まっていった。その実際を、松江城の内堀沿いに県物産館から宇賀橋・塩見縄手を経て新橋まで道路に面した現存の家屋についてみると、次のようになる。


 この表では石見型が出雲型を圧倒している。面積的には石見型が全体の80%を超しているではあるまいか。この比較は、市街の全域についてもいえることのようである。こうした現状をみると、将来的には松江の市街から出雲型瓦が姿を消すことも考えられなくはない。
 なお、表にみる塩見縄手での出雲型瓦には、江戸時代のものと思われるもの、明治・大正時のもの、そして材質・製法の異なる新しい模造のものとが混在している。これは、市が昭和48年に制定した「伝統美観保存条例」に基づいて、塩見縄手を修景した結果と思われる。その当時燻し焼き桟瓦の調達はむづかしかったのであろうか。


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