[調査報告]
松江の瓦
その歴史 -2-


・松江城の瓦


松江城本丸櫓(燻し焼き本葺瓦)

 本葺瓦といい、平瓦と丸瓦を組み合わせた燻し焼きの瓦であるが、堀尾吉晴による築城時(1607〜1611)この瓦が使われていたかどうかは疑問であるという。
 松江城は元禄3年から3年(1690〜1692)かけて大修理が行われ、天守閣の瓦だけでも燻し瓦84052枚が使用されていて、二の丸・三の丸の附属建物を合わせると、その数倍に及ぶ瓦の生産が必要であったことは確かといえるという。
 これだけの多量の瓦がどこで作られたかは定かではないが、察するに松江城に近く粘土資源が豊富で、元禄13年(1700)頃には燻し焼き技法による黒瓦の生産地を形成していた、八束郡の秋鹿・古江地区や東出雲地区がその生産基地であったであろう。


・桟瓦の創案

 江戸時代の延宝2年(1674)、瓦師西村半平衛によってそれまで主流であった本葺瓦に改良が加えられ、平瓦と丸瓦を一つにまとめた桟瓦(簡易瓦)が創案されたという。このためそれまで寺院や城郭などに限られていた瓦屋根は、桟瓦の普及によって最初は城下町や宿場町に普及し、江戸時代末期から明治時代に入ると次第に町部からその周辺地域に及んでいったという。
 この桟瓦の型や製法は現代にもそのまま引き継がれ使われているという。


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